5月5日といえば端午の節句であって、こどもの日でもありますよね。これって、どう違いがあるのかって事を説明できる人は少ないのではないでしょうか?
私も最近まで、この2つの違いを知らなかったんですけどね。
でも、調べてみると「こういう違いなんだ!」「こう言う由来なんだ!」と日本の伝統的な祝い事への関心が高まりましたよ!
ということで、端午の節句とこどもの日の違いに関して、私が調べて気付いたことなどを徹底的に、わかりやすく書いていきたいと思います。
では、まずどう違うのか大まかなところから見ていきましょう。
端午の節句とこどもの日の由来の違い
端午の節句=こどもの日というイメージをお持ちと思います。私も気になって調べるまではそう思ってました。でも、それは大きな間違いでした。
だったら、どう違いがあるのか?
端午の節句は昔からある風習のことで、こどもの日は昭和に国会で決められた祝日ということです。端午の節句は平安時代からある風習で、男の子をお祝いというものですよね?
ただ、こどもの日は男女問わず子供のための日と言うこと。
ちょっとわかりにくいですね。
簡単に言えば、5月5日には男の子を祝う端午の節句と男女問わず子供をお祝いするこどもの日が2つある日と言う感じでしょうか。
では、どういった経緯で同じようなこの端午の節句とこどもの日ができたのでしょう。次は、2つの由来から違いを紐解いていきましょう。
端午の節句とこどもの日の由来
先ほど大まかな違いを見てきました。ここからは、由来に関しての違いについて見ていきましょう。まずは、こどもの日の由来です。
さて、どの様にしてこどもの日ができたのでしょうか?
こどもの日は国会で1948年に制定されたものです。こどもの日の日付はいくつか候補がありました。
候補に挙げられたのは、
- 新学期を迎える4月1日
- 桃の節句の3月3日
- 端午の節句の5月5日
4月1日はエイプリルフールと被るので却下され、3月3日は北の地方ではまだ寒すぎるという理由から却下されます。
ほかの候補が外されたことと、5月5日にして欲しいと意見が多いこともこの日に決まった理由です。
しかし、5月5日は端午の節句で男の子をお祝いする日です。
なので、男女差別ではないだろうか?という意見も多かったのですが、男女関係なく祝うというイメージが広がり、反対意見が減っていったんです。
そして今の5月5日がこどもの日になりました。めでたしめでたし…
ちなみに、こどもの日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と国に定められています。
子供はわかるけど、母親も関係しているんですね!
これは初耳だったのでは?
では、次は端午の節句の由来に関して書いていきますね♪
端午の節句は由来は?
端午の節句はもとは5月5日を指したものではなかったんです。
端午とは月の端め(はじめ)の午の日というものでしたが、午(ご)が五に通じることから5日を指す様になり、五が重なる五月になり5月5日が端午の節句となります。
この端午の節句は、中国から伝わってきた風習。
2300年前の中国には、屈原(くつげん)という政治家がいました。この人物が端午の節句の誕生に大きく関係しています。屈原は、国王の側近で国民に人気のある人だったんです。
しかし、陰謀によって国から追放されてしまいます。
そのことに心を痛め屈原は川へ身を投げてしまいます。このことを悲しんだ国民が、屈原の亡骸を魚が食べない様に太鼓で脅かしたり、ちまきを投げ入れたりしたことが端午の節句の始まりです。
そして、毎年5月5日に行われる様になりました。
また、5月は季節の変わり目で気温が熱くなったりで、体調を崩しやすく病気をになる人が多かったため『毒月』ともいわれいたので、厄払いという面でも広まった。
そして、この風習が日本に伝わって来て、今の様なお祝い事に変わっていきました。
では、日本の端午の節句には昔どの様なことが行われていたのでしょうか。次は、現代と昔の違いについて見ていきましょう。
端午の節句の今と昔の違い!
端午の節句は昔の日本では女の人が行う行事だったんです。
端午の節句は五月ですよね?
この五月は田植えの時期ですよね。昔は、この時期になると稲の神様にお願いをするため、若い女性が小屋や神社に入り、田植え前に穢れ(けがれ)を払わないといけないということで行われていた風習なんです。
このことを「五月忌み(ごがついみ)」といいます。
この時、小屋にかけられたのが菖蒲やヨモギです。この二つは、厄災や穢れを祓う薬草と考えられていました。今でも端午の節句に菖蒲を使う風習はいくつか残っていますね。
菖蒲を使った風習といえば菖蒲湯ですよね。菖蒲湯に関して下の記事に詳しく書いているので参考にしてください。菖蒲湯以外もありますよ!
この日本の風習と先ほどの中国の風習と合わさって日本独自の端午の節句となったんです。しかし、鎌倉時代になると宮廷で行われていた、端午の節句はあまり行われなくなりました。
この頃から武士が力をつけて来たこともあり、武士の風習が増えていきます。菖蒲(しょうぶ)が尚武と読みが同じことから好まれて武士の間で流行って行きます。
そして、江戸時代になると幕府が公式な行事として定めました。次第に、武士以外の庶民にも広まります。このころの武士の風習が今でも男の子を祝う端午の節句として残っています。
この頃に、鯉のぼりをあげられる様になります。
鯉のぼりに関しては、こちらの鯉のぼりの意味と由来は?細部まで込められて願いと思い!!に詳しく書いていますので、参考にして下さい。
今でも、たくさんの日本人が行う端午の節句。
長く伝わっている文化とはいえ昔と今では、結構違うものなんですね。
まとめ
端午の節句とこどもの日の違いに関して見てきました。最後に、今回の中で大切なポイントをまとめたので、おさらいしていきましょう。
- 端午の節句は男の子を祝う日。
- こどもの日は男女問わず子供を祝う日
- 違いは簡単に言うと、風習と祝日という感じです
- 中国から伝わった風習と日本の風習が合わさったもの。
端午の節句とこどもの日の違いって、なるほどですね。
日本の端午の節句は中国の風習と日本の風習が合わさってできた物だったんですね。風習コラボみたいなかんじですかね?(笑)
私が一番なるほどと思ったのは、母にも感謝するところが素敵だなと思いました。
では、今回はこのへんで(^^)